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大谷翔平の活躍をみて思うこと

前回のコラムに「野球には興味がない」と書いたばかりですが、大谷翔平選手の活躍をみると、今回も野球の話をしないわけにはいきません。100年に一人の逸材と言われほどの結果を今シーズンは叩き出し、目の肥えた記者たちが選ぶメジャーリーグのMVPに満票で選ばれました。

日本のメディアでは大谷選手の父親や高校時代の監督などのインタビューが載り、いかにして大谷選手がつくられたのか、どのような環境や指導者の下に偉大な選手になったのかが紹介されています。

まずはNHKスペシャルでの父親の言葉が印象的です。彼は今でもリトルリーグの監督をしていて、大谷選手とは小さい頃から野球に関する交換日記をつけていたそうです。そこでは試合に勝ったことや、ヒットを打ったことなど数字や結果に注目するのではなくて、一生懸命走らなかったことや、真剣に取り組んだか、声を出したかなど、がんばりや真剣さについて指導していたそうです。

多くの人にとって親や育った環境がその本人に大きな影響を与えるのは自明のことです。面白い話があります。松井秀喜、イチロー、大谷翔平はみな親の助言で右利きですが、左打ちに変えています。野球に詳しい人はわかると思いますが、右投げ投手が多いので、左打ちは有利ということからの左打ちへの変更です。どうでしょうか?日本中に多くの野球少年と親がいますが、ここまでさせる親がどれくらいいるでしょうか?

最近は「親ガチャ」(親からの遺伝的な才能と、家庭環境の良し悪しで人生が決まるという議論)だなんだと言われる昨今ですが、遺伝的な才能があっても、それを活かす環境がないと意味がありません。例えば、「お金持ちになる」や「東大に入る」ためにはどうすればいいのかというと、そういう人たちが集まっている学校や環境に身を置くのが一番の近道です。環境の影響は大きいのです。

花巻東高校時代の佐々木監督のインタビューが朝日新聞に長く掲載されました。これもとてもいい内容なので興味があるかたはウェブ版があるので探してみてください。彼はそこで「才能」というのは指導者で開花するというのは嘘だと言います。そして、育て方に正解はなく、これまでも大谷のような才能を持った選手はいたはずだが、東北の冬の練習方法など、歴史と伝統を重んじる野球において、指導や練習方法が原因で開花させられなかった。『指導とは本当に恐ろしい。想像以上に「こうしたもんだ」という常識に支配されている』と語ります。

俺にもなんらかの才能があったのに、その才能を活かせる環境に入るきっかけがなかっただけだと思う人もいるかもしれません。かつて作家の村上龍は、『いまの世の中、きっかけさえあれば誰だってできる、というバックグラウンドに支えられている。やらなかった人は、「自分にはきっかけがなかっただけ」と思いたいわけですよ。』といいました。村上龍の意見も今読むと、あまりに一面的なような気もします。

最近は、人間の「成功」において知能だけではなく、「コミュニケーションの力」「やり抜く力(GRID)」「人間性」が注目されています。簡単に言うと「努力やがんばり」が重要だということです。ただ、この「努力やがんばり」も遺伝的な影響が強いと言われていて、1958年から2012年までの1455万8903人の双生児を対象とした研究によると、「やる気」の57%、「集中力」の44%が遺伝的に影響されていることを示しています。つまりは努力できるかどうかの半分は遺伝で決まるということです。(※橘玲「無料ゲー社会」より)また、児童精神科医の宮口幸治氏は、ベストセラーになった「ケーキを切れない非行少年たち」の続編「どうしても頑張れない人たち」では、「がんばればできる」という残酷さを指摘しています。

ここまで、「遺伝的な才能」と「環境」、そして本人の「努力やがんばり」についてみてきました。それはある種とても残酷なことなのかもしれません。しかし、だからといって社会的なプラットフォームは、何かの才能をもった人間を生み出し、応援できるようなものでなければいけません。そうではなく、遺伝的な才能と親の資産も含めたコネだけが「成功」への道筋というのであれば、その社会は活力失い、停滞と自暴自棄なテロ行為に現れる怨嗟だけを生み出すことになります。

もうだいぶ長くなってしまったので、短くまとめますが、これまで日本人選手でメジャーで歴史に残る活躍をした選手は、野茂英雄とイチローと大谷翔平でしょう。(松井秀喜のシーズン最多本塁打は31本ですが、大谷は46本です。)この三人には共通点があります。大谷は、二刀流、野茂、イチローは共にそのフォームで、「それではプロではやっていけない」と、若いころからずっと言われていたのは有名な話です。つまりはこの三人のすべてが「歴史と伝統を重んじる日本野球」において、そこから逸脱している選手です。

日本の野球と社会は、「何かの才能をもった人間を生み出し、応援できる」ような状態であるのでしょうか。日本のプロ野球で活躍して、メジャーに渡った投手のほぼ全員が肘の手術(トミー・ジョン手術)を受けています。これは、高校時代の甲子園という頂点を目指し、身体ができていない若い頃からの投げ込みすぎが原因とされています。(※大谷翔平という奇跡を可能にしたものービデオニュースより)

ぼくたちは、ファン、部活、学校、親、メディア、野球界、社会の一人として「何かの才能をもった人間を生み出し、応援できる」ことより、既存のあり方を守ることを優先していないでしょうか。これは野球だけの話ではありません。この国はBBCが先の五輪で報道したところの「ガイアツ」、つまりは自らは変えることができないから、外から変えてもらうということを歴史的に繰り返しています。しかし、それはいつまでも終わらない対処療法でしかないはずです。それぞれの持ち場で、一人ひとりが発言、行動しなければ何も変わらないと今シーズンの大谷選手の活躍をみながら思いました。