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小山田圭吾氏のいじめ問題について

小山田圭吾氏のいじめ問題について


オリンピックの開会式も終わりました。 五輪関係であった多すぎる問題の中でも小山田圭吾氏のいじめ問題 について書きたいと思います。

雑誌「ロッキング・オン・ジャパン」 94年1月号に掲載されたインタビューで氏が話していた中学時代 のいじめエピソードが各方面で引用、議論されています。 本人もいじめを認めて、反省、謝罪もしているので、 別に擁護しなくてもいいのかもしれませんが、そもそも「 ロッキング・オン・ジャパン」 は原稿チェックがない雑誌だったようです。 当時の音楽業界は景気もよかったからか、 同誌は広告を出さないと記事やインタビューが載らないという、 普通とはちがう雑誌でした。 そこで問題のいじめ自慢の記事が載りました。 そしてそれを見た当時の太田出版のライターが「クイック・ ジャパン」という雑誌で、「いじめ紀行」 という連載の第1回で小山田氏の長時間のインタビュー( ただの打合せという見方もできますが) が長い記事として掲載されました。

今現在の拡散されているブログや報道には、 小山田圭吾氏の人間性はまったくないというような印象ですが、 それは主に「ロッキング・オン・ジャパン」 に掲載されたインタビューによるものです。最近になって、「 クイック・ジャパン」の「いじめ紀行」 に関しては全文がネットで読めるような状況にあります。 さらに当時の関係者である北尾修一氏の、 今月いっぱいしか公開しないブログを読むと、 まるで異常者のような小山田氏の印象も変わります。 興味がある人は調べてみてください。(「いじめ紀行」 もいろいろと企画時の言い訳を書いていますが、 決して褒められたものではないと私は思いましたが。)

「クイック・ジャパン」の「いじめ紀行」に関しては読むと、 少しは小山田氏の人間性のようなものも感じることができる内容で す。(そこでは「ロッキング・オン・ジャパン」にあったような、 うんこ食べさせたり、 自慰行為を自分が強要させたりしたという話は出てきません。 それについてどう思うかは読者ひとりひとりで判断したらいいと思 います。)

私がここで言いたいことは、 小山田圭吾氏のいじめをしていたことや、それに対して( 95年当時は) 反省もないように見えることを擁護したいのではありません。

掲載されたものはもうどうしようもないですが、 現在の小山田氏を糾弾するのであれば、 同じように原稿チェックもなく掲載した「ロッキング・オン・ ジャパン」や、太田出版の「いじめ紀行」を連載していた「 クイック・ジャパン」 の関係者に対してもその矛先が向かうべきではないでしょうか。「 ロッキング・オン・ジャパン」も「クイック・ジャパン」 も当時の編集長や太田出版の社長が謝罪文を公開しています。 それは、 形だけのものと批判されてもおかしくないようなものです。 太田出版の「クイック・ジャパン」に関しては、 2012年にはいくつかの号が復刊される機会があり、「 いじめ紀行」 の連載があった号も100部ですが復刊を行っている事実をみると 、 そこには出版社として謝罪や反省の気持ちがあったとは思えません 。

あと90年代という時代そのものがそんな時代だったという意見も 多くみられます。
「世紀末を生きる僕たちが最後に頼れるのは、生命保険会社でも、 破綻している年金制度でもない。 その気になればいつでも死ねるという安心感だ! 自殺の方法を克明に記し、さまざまな議論を呼んだ、 聖書より役に立つ、言葉による自殺装置。」と紹介された「 完全自殺マニュアル」(鶴見 済)は100万部を超えるベストセラーだったし、 95年は地下鉄サリン事件、アニメのエヴァンゲリオン、 97年には神戸連続児童殺傷事件がありました。( ちなみに少年Aの本「絶歌」も太田出版で、編集者は「 完全自殺マニュアル」を担当した女性)他にも97-99年「 テレクラキャノンボール」が一部の人たちに熱狂された、 そういう時代でした。 その当時には悲惨ないじめ自慢を雑誌に載せても許される空気があ ったのも事実だったと思います。

当時を知る人はわかると思いますが、 あのころは暴力が普通に公のところで横行していました。 学校での体罰は当たり前で、例えば、 生活態度や部活動での指導で、 中学生や高校生をバンバン殴っていた先生がどこの学校にも一人は いました。暴力だけではありません。 部活動の合宿で男性教諭の背中を女子高生が一人ずつ風呂で背中を 流すなんてことも、ここ鹿屋でも普通に行われていたりしました。 これらのことは、 大人であったその他の教員も知っていたはずです。

現在は、「本音」と「建て前」という対立で見ると「建て前」 が政治的な正しさ追求によって全面的に出張っている時代と言えま す。2021年の現在も悲惨ないじめや暴力はなくなってないし、 普段は正しいことを言っていても、 身内や上司には何も言わないというようなことがどこの職場やグル ープにも横行しています。

本来なら、 今回の騒動を契機にいじめについてあらためて考えるいい機会です 。子供も大人も、 どこにもいじめは存在するという前提で社会全体が考えなければい けないはずです。しかし、そのような議論もまったくなく、 小山田氏の仕事が減るだけで、社会は何も変わらないでしょう。 オリンピックが始まれば普通に盛り上がり、 忘れていくのでしょう。
いま行われている小山田氏へのそれこそ「いじめ」 のような状況を見る限り、そこで得られる教訓や議論は「 ネットでの炎上は怖い」、「発言しないほうが得だ」 というようなことにしかなっていないように思います。 それはさらに「建て前」 だけが強くなっていくという悪循環のように見えます。

「コークスが燃えている」櫻木みわ

櫻木みわ著「コークスが燃えている」これは集英社の文芸誌「すばる四月号」に掲載された小説です。

40歳目前の非正規雇用である「ひの子」が妊娠をきっかけに、立場の弱い女性たちから支えられたり、励まされたりして過ごす話です。妊娠という女性しかできない体験、身近に助けになる人や里帰り出産ができない人の不安を描きます。それと同時に「ひの子」の出身地である九州の炭鉱で、かつて多くの働く女性たちが助け合って生きていた話を重ねることで、先が見えない不安な状況に対して支えあえる生き方をしめす道標のような作品です。

私はこの作品にいわゆる社会的な「弱者」が助け合う物語という、やや一面すぎる読み方で読んでしまいました。(実際には、この感想では収まらない重層的な話が紡がれているのですが)それは「コークスが燃えている」を読んでいる同時期に、宮崎学のヤクザ関係の著作や雨宮処凛の著作を読んでいたのが影響していると思います。

自身も京都のヤクザの組長の息子である宮崎の著作では「コークスが燃えている」でも出てくる筑豊炭田で大親分として統率していた、近代ヤクザの原型といわれている吉田磯吉が登場します。
磯吉のもとには社会的に虐げられた者たちが集まり、共同体を作っていました。
例えば、被差別部落の出身者たちは、差別されて職につけません。そこで彼らがヤクザの組長を頼るというのは、それがヤバい仕事であったとしても、ある種のセーフティーネットとして機能していました。
ヤクザという生き方は、犯罪や暴力など不安定で迷惑なものだったがそれと同時に、ヤクザは社会と地続きでありました。庶民たちの生活秩序が崩れたときに、もともとの秩序に戻す「汚れ仕事」をしていたのが彼らであり、そういう意味では共同体にとってヤクザはその一部でありながら、やはり異質なもの、非日常的なものだったようです。(宮崎学著「ヤクザと日本」)
本来「弱者」であるヤクザたちが、暴力と暴力がぶつかり合い秩序が崩れる中を「顔」と任侠道でまとめ上げ、秩序を回復させていたという記憶が残っていたからこそ、70年代までの日本ではヤクザ映画が多くの人に愛されていたと言えます。


しかし、現代社会ではどうでしょうか。「非正規」「経営者」「ニート」「地方出身」「弱者」「成功者」それこそ「ヤクザ」でさえも、見た目ではその区別はわからず、しかも多くの場合が同じような社会サービスを享受できるのでそこには区別はありません。そんな疑心暗鬼的な状況だからこそ多くの人たちは自分が「負け組」と見られないよう取り繕うことに躍起になっているともいえます。
雨宮処凛の著作を読むと、生活保護を受給することに異常とまで言える拒否反応を示す人たちが多く登場します。所持金が30円しかないのに生活保護だけは絶対に嫌だという人や、事業再開の資金を貸付してくれるだけでいい、昔の仕事相手に電話すれば金は何とかなると訴える、携帯もすでに止まっている元経営者が登場したりします。そこには「負け組」と見られたくないということを、それこそ命よりも重要に思っているかのような印象をうけます。

私たちは社会で同じような服を着て、同じようにスマホを持って、同じようにSNSを利用して、同じように生きているように「見えます」。
しかし、それは表面的なことであり、本来はそうではありません。
「コークスが燃えている」では、後半、立場を超えた連帯やつながりの可能性を描きます。
しかし、私たちは、見た目で区別がつかない状況で、しかもこのコロナ禍の状況で、宮崎学的な「弱者どうしの連帯」が生まれることはそうそうない。そのことも知っています。そのことのやるせなさも「コークスが燃えている」が私たちに投げかけているものの一つだと思います。
本当に素晴らしい作品ですので、ぜひお読みください。

 

 

 

 

日本では「アンビルドの女王」だったザハ・ハディド

日本では「アンビルドの女王」だったザハ・ハディド


鹿児島の今年の梅雨入りは観測史上2番目に早いものとなったようです。
晴耕雨読という言葉がありますが、現代では読書に代わってオンラインの講義やトークショーを視聴している人も多いかと思います。最近、「いまこそ語ろう、ザハ・ハディド」というトークショーをネット視聴しました。それは哲学者の東浩紀氏が主催しているゲンロンにて、ザハ氏とタッグを組んだ日建設計の山梨知彦氏、建築史家・評論家の五十嵐太郎氏、東氏の3人による鼎談です。

この鼎談は建築に知識がない私のような人間にも、様々な驚きと新しい情報、そして何とも言えない喪失感を与えました。ザハ・ハディドはイラク出身の女性の建築家です。彼女は建築界のノーベル賞であるプリツカー賞も受賞している世界的な建築家ですが、そんな彼女が日本で話題になったのはオリンピックの新国立競技場のプロジェクトによるものです。

当時ザハ氏のデザインに対して、建築エコノミストの森山高至氏を中心に多くの人やマスコミは、独特の構造であるキールアーチは建築できないだろうという論陣をはっていました。私も当時は森山氏の話をネットで聞くことがあり、素人ながらそうなんだなぁと思っていました。しかし、ゲンロンでの鼎談で山梨氏と五十嵐氏は「国のプロジェクトなので守秘義務があり、反論はできなかったし、そもそも構造に問題があるものを設計するなんてことをザハと日建設計など日本の設計チームがするわけがない。ばかばかしい。」と相手にもしていなかったと語ります。

しかし、その後の日本は先の森山氏が多くのメディアで取り上げられ、建築家の槇文彦氏の景観などを理由にした反対の論文などに注目もあつまり、シンポジウムや運動が開かれ一気にザハ・ハディドは日本で悪者になりました。その当時の報道のあり方は、イスラム系の女性建築家を見た目や過去の仕事で揶揄して、ジェンダー的にも大きな問題があるものでした。今でいえば、ヘイトスピーチ(人種、宗教、性別、容姿などに基づいて、攻撃する発言や言動)であり、設計図が全くできていないなどの完全なフェイクニュースもありました。


そして2015年7月17日、当時の安倍首相は集団的自衛権の行使を可能にすることなどを定めた安全保障関連法案の批判をかわしたい狙いもあったのか、新国立競技場のザハ氏の案を白紙撤回します。日建設計の人たちは100人以上のチームで、二年間にもおよぶ図面作成で4000枚もの図面と作っていたそうです。さらには白紙撤回の3日後には役所に図面を提出する確認申請を予定しており、そのときの喪失感と言ったら言葉にはできないものだったそうです。山梨氏の話を聞くだけでも、私も心が痛くなりました。


ザハ・ハディドは「アンビルドの女王」と言われる不遇の時代がありました。その彼女を世に広めたのは日本の建築家、磯崎新氏であり、学生時代に日本に来たこともあるくらい彼女としては日本に対して強い愛着があったそうです。白紙撤回後には安倍首相に書簡を送ったり、日本人にむけてビデオメッセージを作ったりしてなんとしても実現したいと動きます。(ビデオメッセージは今でもネットで見ることができ、彼女の想いと素晴らしい作品群を見ることができます。)

しかし、彼女の熱意もむなしく、新国立競技場はコンペからやり直しとなります。彼女と日建設計チームはもう一回挑戦を試みますが、コンペはザハ外しともとれるオールジャパンで行こうという雰囲気が作られました。日本らしく木を使いましょうとか、日本語で発表しなさいとか、極めつけは設計と施工を一体のチームとしてコンペに応募するように規約がかわります。日建設計はもちろん、ザハ自身も日本大使館に自ら出向いたりして、必死になり協力してくれる施工会社を探しますが、完全にヒールとなったザハ氏にはどのゼネコンも協力することはなく、彼女は失意のままこのプロジェクトからは身を引きます。そしてさらにはそのあとすぐに心臓発作で急死します。

いまになって振り返るとオリンピック自体の迷走ぶり、日本の政治家たちの不透明で閉鎖的な状況は、新国立競技場問題から始まっているといえると思います。また私たち市民社会もその時々のマスコミの雰囲気に流されること、ザハ氏にはどのゼネコンも協力しなかったという、いじめともいえる空気の醸成はこの国の今も昔もある大きな問題です。


中国や韓国にもザハ・ハディドの代表作が建っているのに日本では最後まで「アンビルドの女王」でした。新国立競技場は隈研吾氏が設計したものが1569億円で建ちました。出来栄えに批判もあるようですが、今の日本の状況では、大きな国家プロジェクトに予算をかけられないのかもしません。

「いまこそ語ろう、ザハ・ハディド」(ゲンロン)、このトークショーは現在でもネットで見ることができます。建築に関係ない人でも心をうち、考えさせられる素晴らしい内容です。ぜひご覧ください。

最後に一つ明るいニュースでこのコラムを終えたいと思います。ザハ氏と仕事をした日建設計は彼女との仕事で得た、BIM技術(建物全体の設計図から部品一つまで、サイズや数量、仕様など建設に必要なあらゆる情報をまとめてデータベース化するツール)を使って、スペインの強豪サッカークラブであるFCバルセロナのスタジアム「カンプ・ノウ」の新スタジアムの設計コンペを勝ち取り、完成は24年ごろを予定しているようです。
土屋耕二

 

 

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南九州新聞のコラム用に書いたものです。

こんど塩田知事に会ったら伝えてください

塩田知事、はじめまして。

私は鹿屋市で小さな飲食店を13年やっています。以前の知事、三反園さんと伊藤さんはご来店いただきました。いや、別に塩田知事は来ないなぁと言いたいわけじゃないです。この大変な状況でうちなんかに来る時間はないとお察しいたします。(そこそこ美味しいと評判なんですよ、これでも)

 

報道によると、県は新型コロナウイルスの感染防止対策を適切に行っている飲食店に対する、新たな認証制度を6月28日に作る予定だそうですね。同じようなことを多くの県が行っていることは知っています。認証制度に当てはまらないことを理由に自粛要請の補償金を渡さないという県もあるようです。きっと塩田知事もきっとそうお考えなのでしょう。
私は政治家が分断を生むような政策をとるべきではないと考えていますので、認証制度の普及と補償金を関係つけるのは反対です。

 

もちろん、私たち飲食店は他の業種と比べ多くの補償金をもらっています。中には自粛期間に闇営業をしていた飲食店も、補償金対象ではないのにもらっている事業所もあることも知っています。けれど、こういう人は一定数出るものです。私の古い友人は役所の税務課にいながら自分の家族には税金がかからないようにずっと嘘の申告をしていました。どこにでも困ったやつはいるものです。細かいことに目を向けずに多くの困っている人たちを少しでも救えるような政策をとっていただきたいと思います。

 

これだけ長い自粛や緊急事態宣言が続いたら、人は我慢できないものです。少し住宅街を夜に歩いてみてください。自宅の庭で飲み会をしている家がとても多くなったことに気づくはずです。鹿児島県職員による、「少人数、短時間」の会食を呼びかける中、40人近い飲み会があった報道もありました。

 

コロナ感染経路の報道で最近目立つのは飲食店の割合の少なさです。例えば、静岡県での年末年始の感染事例を分析した報道では、飲食店3%、家族27%、知人5%、職場3%になっています。5月の福島県では、飲食店は9%に対して、家族35%、知人7%、職場20%。5月22日の産経新聞の報道でも新型コロナウイルスの感染者のうち感染経路が不明な人の割合が50%を超えて最大になったとあります。
ここ鹿屋市でも6月11日発表の感染者数の集計181人に対して、飲食店のクラスターは2人と市は発表しています。

これを見る限り、飲食店だけを厳しく取り締まる段階ではないのではないでしょうか。
もちろん、何かの対策をしないといけないのはわかります。個別訪問で確認することもしたらいいと思います。

 

私は個人的には、飲食店は営業自粛をお願いするならきっちりと補償金をくれと言うべきと考えています。補償金に関しても、みんな確定申告をしているはずです。それこそ個別訪問で確認してもらえばいい話です。一律に給付するので不正や疑心暗鬼も生まれます。認証制度で人と時間を使うくらいならこちらに人と時間を使い、それぞれの商売の規模にあった補償をするべきです。それが無理なら普通に営業をさせるしかないと思います。私たち商売人は基本的になんの保証もない状態が普通です。お客さんが来ずにつぶれるならそれも仕方ないと誰もが思っているはずです。


塩田知事が、この状況でやるべきことは飲食店の認証制度の普及よりも病床数の確保ではないでしょうか?

 

6月1日の南日本新聞の報道によると、

“鹿児島県は31日、新型コロナウイルスの感染者に対応する新たな病床確保計画を策定し運用を始めた。22床増えた最大確保病床419床のうち、重症向けは3床減の41床となった。県は「各医療機関に受け入れ可能な重症病床を改めて聞いた結果減った」と説明した。”

この状況で重症病床が減ったことにも驚きますが、病床数が400ちょっとしかないことにも驚いてしまいます。コロナが広まってもう一年半です。専門家ではないので私の認識が間違っているのかもしれませんが、ここ鹿児島県でも多いときは一日50人以上の感染者が発表されています。これから冬に向けて、この数字が3,4倍になることだって想定できます。季節性の感染爆発が起こらないとは誰も言えないはずです。もちろん、ワクチンが広まりそんなことはないのかもしれません。私も心からそうあってほしいと思っています。しかし、インドや台湾のように変異株によって感染が急激に増えることを、想定しておくべきではないでしょうか?

 

飲食店もみんながんばっています。菅総理が病床数が増えないことに、「日本は8割が民間の中小の病院で、政府としてもお願いしかできないのです。」と会見で言っていました。きっとそうなのでしょう。税金を使った皆保険制度に支えられて、医師の育成にも膨大な税金が投入されているのにお願いしかできない状況。そうなのでしょう。そんな医療法を改正できるのは政府与党しかいないのですが、そうなのでしょう。

同じように塩田知事もお願いしかできないのかもしれません。そうなのでしょう。
それなら、お願いしつづけるしかないのではないでしょうか?お願いして、お願いして、お願いすれば県民は知事にきっとついていくと思います。その県民の想いは医療関係者を動かすかもしれません。


私は、先の県知事選挙で「数年後に富士山が爆発して関東は壊滅、その後地方に人口は大移動して少子高齢化は解消するから、何もしなくていい」という公約をかかげた武田さんを面白いので応援してしまいました。反省しています。

しかし、今回、塩田知事ががんばっていただけたら、今度こそは塩田知事に投票しようと思います。

 

最後に、もう一度言いますが、以前の知事は食べに来てくれました。
違いました。これではなく。

飲食店への新しい認証制度を作るのもいいでしょう。それもやりたければやればいいと思います。多くの飲食店は限界まできています。自粛要請をするならしっかりと個別の状況にあった補償と、大変なお仕事とは思いますが一つでも多くの病床数の確保をお願い申し上げます。

 

生うどんつちや 土屋耕二

「AKIRA」

日本のマンガは『大友以前と以後に分けられる』と言われるほど、日本のマンガ史と世界のクリエイターに影響を与えた大友克洋の代表作「AKIRA」
第三次世界大戦から31年たった「ネオ東京」を舞台に仲間とバイクを乗り回す金田を主人公に、ゲリラや軍隊、国連、宗教団体、科学者、超能力者などのそれぞれ立場で思惑が入り乱れて壮大かつ緻密な物語が描かれている説明不要な超名作です。最近は、作中で東京オリンピックを予言し、開催できないかもしれないことまで予言されていることでも話題になってます。開会式ではアキラのバイクが登場するという情報もありますが、どうなりますかね。個人的には、AKIRAは原爆のメタファーであり、金田たちはそこから独立国を作る話なのに、オリンピックの開会式なんかに使われるのはどうなのか?と思います。
現在のコロナ禍での政治的な混乱さを見るにつけて
「アキラはまだ俺達の中に生きてるぞ!」
と叫ぶような気概はもうこの国にはないのかもしれない。けど、作品が読まれるうちはその気持ちは消えることはないはずです。作品とはそういうものです。みんなAKIRAを読もう!!そして叫ぼうじゃないか。「アキラはまだ俺達の中に生きてるぞ!」

 

 

鹿屋を中心に発行しているフリーペーパーによせた記事です。

🐰🐰🐰🐰 フリーペーパー「やうやう」のメルカリでの販売はこちらです。 フリマアプリ「メルカリ」 https://www.mercari.com/jp/u/226635379/ 🐰🐰🐰🐰

鹿屋のある情報誌にコラムを寄せました。

私は、鹿屋市笠之原で「生うどんつちや」といううどん屋を13年やっています。今回コラムを書かせていただくことになったのは、私は知人とフリーペーパーを作っており、ある方に相談をさせていただいたことがきっかけです。
フリーペーパーの名前は「やうやう」といいます。枕草子の冒頭「春はあけぼのやうやう白くなりゆく山際」からとっており、読み方は「やうやう」と書いて(ようよう)と読みます。が、私たちも含めてだれも(ようよう)と読んでいないので、今ではすっか
り、「やうやう」です。皆さんも好きに読んでいただけたらと思います。

新しいフリーペーパーを始めた私ですが、新しいことを始めるときにいつも頭に浮かぶ人物がいます。それは中田英寿です。
中田英寿は、当時Jリーグ、日本代表と活躍し、世界のトップリーグで成功した初めてのサッカー選手です。彼は、当時では珍しく自身のホームページを立ち上げ、既存のメディア対応、ファンとの交流、そして、自分が考えていることを自分の言葉で発信することをしていました。
2000年当初、中田の存在は時代のシンボルでした。新しい考え、新しい価値観、新しい時代。
中田だけではありません。ホリエモンこと堀江貴文が時代の寵児として話題にのぼりはじめたのもこのころです。
その頃に20代を過ごした私の実感としては、インターネットの普及、中田やホリエモンなどの新しい人間の登場、そして21世紀がはじまるという高揚感とともに、この社会は変わるというような雰囲気が確かにありました。そして、その息吹は風となり2009年8月30日にピークを迎えました。


あなたは言う。どうせ変わらないよと言う。政治には裏切られてきたと言う。しかし、あなたはこうも言う。こんな暮らしはうんざりだと。私は言う。あなた以外の誰が、この状況を変えられるのか。あなたの未来は、あなたが決める。そう気づいた時、つぶやきと舌打ちは、声と行動に変わる。そして、あなたは知る。あなたの力で、世の中を変えた時の達成感を。


このいささか感傷的な文章は、その日の全国紙の一面に民主党の広告として載ったものです。その日は第45回衆議院議員選挙の投票日であり、民主党の政権交代が実現した日でもあります。

もちろん、その後の顛末は多くの人が知る通りです。中田は引退し、ホリエモンは逮捕され、民主党政権は瓦解し、消えてなくなりました。

結局、この20年で私たちが学んだことは、雰囲気や空気感、風では何も変わらないことではないでしょうか。

最近、俳優の田中邦衛さんが亡くなりました。彼の人生をついやした代表作「北の国から」は、ドラマシリーズとしては20年前に終わっています。それでも脚本家の倉本聰は、ところどころで、続編の脚本や構想を書いては発表していることを考えると、あのドラマは、田中邦衛と倉本聰の私小説的な作品であり、田中邦衛が亡くなったことによってドラマは真の意味で終わったと言ってもいいと思います。
「北の国から」だけではありません。昨年は「男はつらいよ」の最後の作品があり、アニメでもつい先日に25年かけて終わったカルト的作品もありました。

これらの作品やその作り手に自分を重ねるなんておこがましいので、自分の仕事である飲食店を例にあげさせてください。先日あるとんかつ屋に行ったのですが、このコロナ禍のなかお客さんが次から次へと入っていました。飲食店なので繫盛の理由は、味や値段に、立地など色々な要素があるでしょう。その中でも私が考えるにその店の人気の一番の理由は、長く続けた店としての歴史が存在するからだと思っています。長いことやっていると飲食店は常連さんというものが少しずつできるものです。うちもうどん屋ですが、数多くの常連さんに支えられています。これからも小石を少しずつ積み上げるようにその数を増やしていくことが、繫盛店への道だと考えます。


紙面もあるので、そろそろ今回のコラムも終わりに向かいたいと思います。
2000年初頭にあったような、時代がかわる雰囲気はいまはどこにも存在しません。10年後にもないかもしれません。
しかし、その時代がどんな状況でも、私たち個人はそれには関係なく何かを続けることはできます。それは、サッカーなのか、ドラマや映画なのか、飲食店なのか、新聞やフリーペーパーなのかは、それぞれ違うでしょう。
時代はかわり、流行り廃りの頻度と上がり幅もここ数年は異常なことになっています。
それでも、何かを続けていつか振り返るとそこにそれまでやってきた道のりが残るようなものを残したいと思います。
何も変えることができなかったこの20年間で、私たちが学んだことはそれだけなのではないでしょうか。

「SNS的どぶ板」

日置市で県政史上、最年少の市長が誕生したようです。
当選した永山氏には、その若さもあり多くの人たちが期待を寄せています。


私は新市長がどんな方なのかは存じ上げていないのですが、彼は自身のFacebookで「私は、対立候補と戦っているのではありません。未来を諦めようする空気と戦っているのです。」と発言しています。とてもいい言葉だと思いますし、率直に申し上げてうまいなぁと思います。
私の友人、知人の多くが(本当に多くの人が)、SNS上で応援していました。それだからこそ厳しい選挙戦を勝ち抜くことができたのだと思います。
永山氏がいうところの「未来を諦めている」代表のような人間である私は、日置市民でもない多くの人が(自主的に)動員され、発言しているのを見ていると、ある話を思い出しました。

「△△は一回しか支援のあいさつに来なかったが、〇〇は三回家まで来た、あいつは頑張ってる」なんて理由で候補者を選んでいるという現実が田舎の選挙だ。と、ある人が私に語ってくれました。
今回の日置市長選での一部の盛り上がりは、核の最終処分場が争点になった南大隅町長選挙でも見られなかったことです。そこにあるのは争点や政策は関係なく結局は「人がら」であり「付き合い」なのだろうと思います。
私には、その場が田舎のどぶ板選挙かSNS上なのかの違いはあっても、基本的になんら変わらないように見えます。
それをここでは「SNS的どぶ板」と呼ぶことにします。

私の考える「SNS的どぶ板」はこうです。
まず、大きな目標やビジョンを立ち上げる。そこには実績や評価は関係ありません。空手形でもいいのです。(クラウドファンディング的)
次にそこに集まってきた人間でクローズドなグループをネット上につくり、そこに所属していることで、一人一人の居場所づくりになっています。(オンラインサロン的)
そして、それぞれがクローズドなところで盛り上がった議論や主催者の想いを、それぞれの自主性に基づいて発信しているかのように雰囲気をつくり、それぞれが発信をしていきます。(いいね、RT的)
勘違いしてほしくないのですが、私はそれを否定しているわけではありません。こんなことはネットに置き換わっただけで、なにかのイベントの実行委員会から、宗教団体、政治団体、LINEグループなどどこにでもあるやり方です。(一昔前は大学に入ると、色々な団体から鍋パーティーに誘われて、研修会に参加するという流れがありました。)
特に新しいことではなく、なんら変わっていないということに、私は希望を感じないのです。

これまで、なんども新しい希望のようなものは出てきました。それは人によっては小泉純一郎だったのかもしれないし、民主党、橋下徹、小池百合子、あるいはN国もそうだった人もいるのかもしれません。国政だけではありません。三反園前知事だって登場したときは大きな期待を集めました。
政治家だけではありません。ネットで政治が変わる、SEALDs、スローフード、地方分権、まちづくり、町おこし協力隊、カンパチロウにバラ王子(これは冗談ですけど)、そして最近はSDGs。

『SDGsは「大衆のアヘン」である』の書き出しで始まるのは、斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』です。かつてマルクスが、宗教は人間社会の厳しい現実を和らげる「大衆のアヘン」だと批判したことにならって、SDGsは現代版「大衆のアヘン」になっていないかと氏は言います。それにならうと、私は「SNS的どぶ板」の盛り上がりは「大衆のアヘン」になっていないかと危惧するのです。

新しい若い政治家に私としても期待はしています。してはいますが、この社会の閉塞感、今のままではおかしいという訴えの根幹は、行政権に市民が関われないことです。最近では、コロナ禍の対策、入管難民問題や、小さな道路建設にはじまり、生活保護水際作戦問題、垂水新庁舎建設、南大隅町最終処分場などもそうです。(紙面もありますので、詳しくは國分功一郎「来るべき民主主義」を参考ください。)
新しい市長や、応援している人たちは、この行政権になんら関われない現実に対して何らかの制度を整えられるのでしょうか?これには大変な政治的リソースが必要です。
私たちは、もう大きな改革や新しい社会づくりは無理だと思います。やれることは、とても地味で、長い時間かかることばかりで社会と関係ないように見えるものばかりです。それは、それぞれの仕事だったり、家族だったり、ものづくり、芸術活動だったりすると思うのです。


若い人たちは仕方ないのかもしれませんが、未来を諦めたところから始めませんか?