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小山田圭吾氏のいじめ問題について

小山田圭吾氏のいじめ問題について


オリンピックの開会式も終わりました。 五輪関係であった多すぎる問題の中でも小山田圭吾氏のいじめ問題 について書きたいと思います。

雑誌「ロッキング・オン・ジャパン」 94年1月号に掲載されたインタビューで氏が話していた中学時代 のいじめエピソードが各方面で引用、議論されています。 本人もいじめを認めて、反省、謝罪もしているので、 別に擁護しなくてもいいのかもしれませんが、そもそも「 ロッキング・オン・ジャパン」 は原稿チェックがない雑誌だったようです。 当時の音楽業界は景気もよかったからか、 同誌は広告を出さないと記事やインタビューが載らないという、 普通とはちがう雑誌でした。 そこで問題のいじめ自慢の記事が載りました。 そしてそれを見た当時の太田出版のライターが「クイック・ ジャパン」という雑誌で、「いじめ紀行」 という連載の第1回で小山田氏の長時間のインタビュー( ただの打合せという見方もできますが) が長い記事として掲載されました。

今現在の拡散されているブログや報道には、 小山田圭吾氏の人間性はまったくないというような印象ですが、 それは主に「ロッキング・オン・ジャパン」 に掲載されたインタビューによるものです。最近になって、「 クイック・ジャパン」の「いじめ紀行」 に関しては全文がネットで読めるような状況にあります。 さらに当時の関係者である北尾修一氏の、 今月いっぱいしか公開しないブログを読むと、 まるで異常者のような小山田氏の印象も変わります。 興味がある人は調べてみてください。(「いじめ紀行」 もいろいろと企画時の言い訳を書いていますが、 決して褒められたものではないと私は思いましたが。)

「クイック・ジャパン」の「いじめ紀行」に関しては読むと、 少しは小山田氏の人間性のようなものも感じることができる内容で す。(そこでは「ロッキング・オン・ジャパン」にあったような、 うんこ食べさせたり、 自慰行為を自分が強要させたりしたという話は出てきません。 それについてどう思うかは読者ひとりひとりで判断したらいいと思 います。)

私がここで言いたいことは、 小山田圭吾氏のいじめをしていたことや、それに対して( 95年当時は) 反省もないように見えることを擁護したいのではありません。

掲載されたものはもうどうしようもないですが、 現在の小山田氏を糾弾するのであれば、 同じように原稿チェックもなく掲載した「ロッキング・オン・ ジャパン」や、太田出版の「いじめ紀行」を連載していた「 クイック・ジャパン」 の関係者に対してもその矛先が向かうべきではないでしょうか。「 ロッキング・オン・ジャパン」も「クイック・ジャパン」 も当時の編集長や太田出版の社長が謝罪文を公開しています。 それは、 形だけのものと批判されてもおかしくないようなものです。 太田出版の「クイック・ジャパン」に関しては、 2012年にはいくつかの号が復刊される機会があり、「 いじめ紀行」 の連載があった号も100部ですが復刊を行っている事実をみると 、 そこには出版社として謝罪や反省の気持ちがあったとは思えません 。

あと90年代という時代そのものがそんな時代だったという意見も 多くみられます。
「世紀末を生きる僕たちが最後に頼れるのは、生命保険会社でも、 破綻している年金制度でもない。 その気になればいつでも死ねるという安心感だ! 自殺の方法を克明に記し、さまざまな議論を呼んだ、 聖書より役に立つ、言葉による自殺装置。」と紹介された「 完全自殺マニュアル」(鶴見 済)は100万部を超えるベストセラーだったし、 95年は地下鉄サリン事件、アニメのエヴァンゲリオン、 97年には神戸連続児童殺傷事件がありました。( ちなみに少年Aの本「絶歌」も太田出版で、編集者は「 完全自殺マニュアル」を担当した女性)他にも97-99年「 テレクラキャノンボール」が一部の人たちに熱狂された、 そういう時代でした。 その当時には悲惨ないじめ自慢を雑誌に載せても許される空気があ ったのも事実だったと思います。

当時を知る人はわかると思いますが、 あのころは暴力が普通に公のところで横行していました。 学校での体罰は当たり前で、例えば、 生活態度や部活動での指導で、 中学生や高校生をバンバン殴っていた先生がどこの学校にも一人は いました。暴力だけではありません。 部活動の合宿で男性教諭の背中を女子高生が一人ずつ風呂で背中を 流すなんてことも、ここ鹿屋でも普通に行われていたりしました。 これらのことは、 大人であったその他の教員も知っていたはずです。

現在は、「本音」と「建て前」という対立で見ると「建て前」 が政治的な正しさ追求によって全面的に出張っている時代と言えま す。2021年の現在も悲惨ないじめや暴力はなくなってないし、 普段は正しいことを言っていても、 身内や上司には何も言わないというようなことがどこの職場やグル ープにも横行しています。

本来なら、 今回の騒動を契機にいじめについてあらためて考えるいい機会です 。子供も大人も、 どこにもいじめは存在するという前提で社会全体が考えなければい けないはずです。しかし、そのような議論もまったくなく、 小山田氏の仕事が減るだけで、社会は何も変わらないでしょう。 オリンピックが始まれば普通に盛り上がり、 忘れていくのでしょう。
いま行われている小山田氏へのそれこそ「いじめ」 のような状況を見る限り、そこで得られる教訓や議論は「 ネットでの炎上は怖い」、「発言しないほうが得だ」 というようなことにしかなっていないように思います。 それはさらに「建て前」 だけが強くなっていくという悪循環のように見えます。