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映画『この世界の片隅で』~自分の居場所をつくるには~

『この世界の片隅で』見てきました。
 
前情報のとおり素晴らしい映画でした。
本当に素晴らしかったです。
 
≪ここからは、壮大なネタバレがあります。≫
 
話は、広島から嫁いだ「すず」が戦争の時代を生きる話です。
原作は漫画です。私は読んだことはないのですが、本当にすばらしい漫画家らしいです。(原作は購読することに決めました。)
 
 
この映画は、もちろん戦争の悲惨さを描いた反戦映画ですが、この世界の片隅でというタイトル通り、居場所の話でした。
 
ここで私のことを少し書きます。
私には父と母がいて、兄弟もいる家庭に育ちました。私は小さい頃はずっとなんの保留もなく、『ここがぼくのうちだ。一緒に住んでいるこの人たち全員がぼくと血がつながっていて、ぼくの家族だ。』と思っていました。特にお金持ちでもないし、すごく貧乏というわけでもない、朝、夜と家族みんなでご飯を食べて、テレビを見て、小さい頃は兄弟もみんな仲が良く、今思い出してもいい家族だったと思います。
物心ついてから私はずっと不思議に思っていたことがありました。それは『ぼくから見れば、家族全員は血がつながっているけど、父と母は血はつながっていない』という事実です。
『今、ぼくが住んでいる家庭の中に赤の他人が突然やってきたら、嫌だけど、父と母はもともと赤の他人なんだよね。』ということです。
赤の他人どうしで、この居心地のよい家庭を作っているんだなぁ、と私は小さいころずっと不思議に思っていました。
 
今これを読んでいるあなたは誰なのかは私には知るすべはありません。あなたがどんな家庭で育ち、今どんな家族がいて、どんな居場所があるのかはわかりません。
多くの大人がそうであるように、私も小さいころ感じた家族への意識は今では変化してしまい、あの頃と違う自分の居場所がいまでは私にはあるし、皆さんにもそれぞれあると思います。
 
映画に話をもどします。
「すず」はぼーっとしている女の子です。嫁ぎ先の苗字も忘れるような女の子です。そんな感じなので、嫁いでもいろいろと小言を言われます。あきれられます。苦労もします。すぐ迷子になります。国中が戦争に突入していくときにも、姪っ子と絵を描いています。
 
一年半の結婚生活はいろいろと苦労しながらも旦那さんはやさしく見守ります。
しかし、途中すずは嫁ぎ先に居場所がないように感じ、空襲もひどくなってきて、食べるものもなく、実家の家族には厳しい兄もいなくなって、妹からは帰っておいでと言われ、今いる呉を自分の居場所と思えずに実家の広島に帰ることにします。
旦那さんやその姉はすずに言います。「広島に帰るのも、ここにいるのもあなたが決めればいい。」「私はすずと暮らした時間は楽しかった。」と
すずはぎりぎりのところでやはり今ここが自分の居場所だと気づきます。
その直後に広島に悲劇が起きます。そのことをそのときは彼女は知りません。
 
人はなんとか頑張って自分の居場所を作るのです。
そして、その居場所があるからこそ悲惨な日常を生き残れるのです。
それは別に家族とは限りません。かつては家族や地域の共同体があり、それが経済発展と呼応して企業共同体に置き換わってこの国は経済大国になりました。しかし、いま自分が働いている職場に自分の居場所があるなんて思える人がどれだけいるでしょうか?
 
今のこの国の社会は戦争もなく平和な毎日です。しかし、私たちに居場所はあるでしょうか?どれだけの人たちが自分の居場所をもっているだろうか?
自分の子供のことしか考えないバカな親。自分の子供のことも考えない愚かな親。仕事をしてお金を稼げばそれでいいと思っている夫。会話のない夫婦。焼畑農業のように若い人たちを疲弊させ使い捨てる職場。いかに楽してお金を稼げるかでしか仕事を決めない人たち。
 
映画に描かれている時代の人たちが特別に強い人間なんてことはありえません。同じ人間です。ただ、人は悲惨な日常を生き残るには居場所が必要ということです。あの時代にはそれがあったという話です。
そして、自分で居場所をつくるはじめの一歩は、すずが実家に帰ろうという気持ちを抑え、この家に残るという小さな勇気、ここからしか始まらないという話でした。
この小さな勇気が、私が小さいころに感じた温かい居場所をつくる一歩でもあると思います。
 
 
 
最後に一つだけ。
同じ戦争の悲惨さを描いたアニメ映画に火垂るの墓があります。
居場所という視点からこの二つの映画を比べると、火垂るの墓は、居場所がない人間は生きていけないという話でもあったと思います。
 
 
この何年かで、一番のアニメ映画でした。普通に映画としても素晴らしい作品でしたので、皆さんも見てください。