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NHK 『プラネットアース』~とにかくすごい番組です。

『プラネットアース』(英題:Planet Earth)は、イギリスのBBCによる自然ドキュメンタリーシリーズ。日本のNHK、アメリカ合衆国のディスカバリーチャンネルとの共同制作番組みたいです。

 

同じNHK の生き物地球紀行のすごいバージョンと思っていただいていいと思います。

そこらの映画より素晴らしい内容です。

ほんとどうやって撮影してんだろ?って映像ばかりです。
2月19日に放送ありますのでぜひご覧ください。

 http://www.nhk.or.jp/nature/feature/planetearth2/

 

 

 

『わたしたちに許された特別な時間の終わり』~才能があることは人を不幸にするのか?

2014年に劇場公開されたドキュメンタリー映画『わたしたちに許された特別な時間の終わり』見ました。

これは、ドキュメンタリー監督であり、俳優としても活動する太田信吾が「ミュージシャンとしての成功を夢見た友人の自殺」という事実を題材に、実に7年という長い年月をかけて完成させた作品です。

 

自殺については とても難しい問題なので書きません。


僕の周りには自殺した人はいないし、ただ自殺をするすると言っている人がいたくらいで、映画でも出てくるパフォーマンスだけの人であり、本当に自殺した人がいると腹が立つとは思います。

 

先も書きましたが、自殺については僕は書けません。

ただ、自殺した彼の父親と母親が『いつか息子は自殺するかもしれない』とずっと思っていたが、それを止めることはできなかったし、その予兆には気づくことは出来なかったと話していて、それが現実なんだろなぁと思いました。

 

 

この映画は自殺について描いていると同時に、才能についても描いています。
自殺した彼は映画を見てもわかるようにいわゆる天才肌の人間で、その彼と一緒にいるもう一人の男『クランド』は対照的に才能の欠片もないような普通のおっさんなのです。(若いけど)
実際、クランドは音楽もやめて家族のために音楽もやめてサラリーマンになります。

才能のある人間、才能がないとあきらめて違う道を選ぶしかない人間、一度しかない人生どちらが幸せなんでしょうね。

 

闘う君のことを闘わない奴等が笑うだろう。

と中島みゆきの歌にありますが、私は挑戦した人間を失敗したからと、挑戦もせずに笑う人にはなりたくないですね。

 

 

期間限定で2月10日までYouTubeで見ることができます。
ぜひみてください。

lute cinema:「わたしたちに許された特別な時間の終わり」 - YouTube

 

 

映画『この世界の片隅で』~自分の居場所をつくるには~

『この世界の片隅で』見てきました。
 
前情報のとおり素晴らしい映画でした。
本当に素晴らしかったです。
 
≪ここからは、壮大なネタバレがあります。≫
 
話は、広島から嫁いだ「すず」が戦争の時代を生きる話です。
原作は漫画です。私は読んだことはないのですが、本当にすばらしい漫画家らしいです。(原作は購読することに決めました。)
 
 
この映画は、もちろん戦争の悲惨さを描いた反戦映画ですが、この世界の片隅でというタイトル通り、居場所の話でした。
 
ここで私のことを少し書きます。
私には父と母がいて、兄弟もいる家庭に育ちました。私は小さい頃はずっとなんの保留もなく、『ここがぼくのうちだ。一緒に住んでいるこの人たち全員がぼくと血がつながっていて、ぼくの家族だ。』と思っていました。特にお金持ちでもないし、すごく貧乏というわけでもない、朝、夜と家族みんなでご飯を食べて、テレビを見て、小さい頃は兄弟もみんな仲が良く、今思い出してもいい家族だったと思います。
物心ついてから私はずっと不思議に思っていたことがありました。それは『ぼくから見れば、家族全員は血がつながっているけど、父と母は血はつながっていない』という事実です。
『今、ぼくが住んでいる家庭の中に赤の他人が突然やってきたら、嫌だけど、父と母はもともと赤の他人なんだよね。』ということです。
赤の他人どうしで、この居心地のよい家庭を作っているんだなぁ、と私は小さいころずっと不思議に思っていました。
 
今これを読んでいるあなたは誰なのかは私には知るすべはありません。あなたがどんな家庭で育ち、今どんな家族がいて、どんな居場所があるのかはわかりません。
多くの大人がそうであるように、私も小さいころ感じた家族への意識は今では変化してしまい、あの頃と違う自分の居場所がいまでは私にはあるし、皆さんにもそれぞれあると思います。
 
映画に話をもどします。
「すず」はぼーっとしている女の子です。嫁ぎ先の苗字も忘れるような女の子です。そんな感じなので、嫁いでもいろいろと小言を言われます。あきれられます。苦労もします。すぐ迷子になります。国中が戦争に突入していくときにも、姪っ子と絵を描いています。
 
一年半の結婚生活はいろいろと苦労しながらも旦那さんはやさしく見守ります。
しかし、途中すずは嫁ぎ先に居場所がないように感じ、空襲もひどくなってきて、食べるものもなく、実家の家族には厳しい兄もいなくなって、妹からは帰っておいでと言われ、今いる呉を自分の居場所と思えずに実家の広島に帰ることにします。
旦那さんやその姉はすずに言います。「広島に帰るのも、ここにいるのもあなたが決めればいい。」「私はすずと暮らした時間は楽しかった。」と
すずはぎりぎりのところでやはり今ここが自分の居場所だと気づきます。
その直後に広島に悲劇が起きます。そのことをそのときは彼女は知りません。
 
人はなんとか頑張って自分の居場所を作るのです。
そして、その居場所があるからこそ悲惨な日常を生き残れるのです。
それは別に家族とは限りません。かつては家族や地域の共同体があり、それが経済発展と呼応して企業共同体に置き換わってこの国は経済大国になりました。しかし、いま自分が働いている職場に自分の居場所があるなんて思える人がどれだけいるでしょうか?
 
今のこの国の社会は戦争もなく平和な毎日です。しかし、私たちに居場所はあるでしょうか?どれだけの人たちが自分の居場所をもっているだろうか?
自分の子供のことしか考えないバカな親。自分の子供のことも考えない愚かな親。仕事をしてお金を稼げばそれでいいと思っている夫。会話のない夫婦。焼畑農業のように若い人たちを疲弊させ使い捨てる職場。いかに楽してお金を稼げるかでしか仕事を決めない人たち。
 
映画に描かれている時代の人たちが特別に強い人間なんてことはありえません。同じ人間です。ただ、人は悲惨な日常を生き残るには居場所が必要ということです。あの時代にはそれがあったという話です。
そして、自分で居場所をつくるはじめの一歩は、すずが実家に帰ろうという気持ちを抑え、この家に残るという小さな勇気、ここからしか始まらないという話でした。
この小さな勇気が、私が小さいころに感じた温かい居場所をつくる一歩でもあると思います。
 
 
 
最後に一つだけ。
同じ戦争の悲惨さを描いたアニメ映画に火垂るの墓があります。
居場所という視点からこの二つの映画を比べると、火垂るの墓は、居場所がない人間は生きていけないという話でもあったと思います。
 
 
この何年かで、一番のアニメ映画でした。普通に映画としても素晴らしい作品でしたので、皆さんも見てください。

ナイトクローラー

主演のジェイク・ジレンホールが狂気でよかった。
最初は、本当にコソ泥って感じで、それがどんどん「実業家」(括弧付き実業家)になっていくところがよい。
全てにおいて、ネタでやっていたものが、ベタになっていく。
ネタ(ただ、金稼ぎ)でフリーのカメラマンになり、それがどんどんエスカレートしていき、最後は事件を自ら演出していくようになる。
そして、最後はすっかり実業家へ。
今の、社会のネタだったのがベタになるということを表している。

her 世界で一つの彼女

「her 世界で一つの彼女」
『マルコヴィッチの穴』『かいじゅうたちのいるところ』で高い評価を得た監督スパイク・ジョーンズの作品。元妻であるソフィア・コッポラは、夫と共に訪れた東京で、ひとり置き去りにされた体験をもとに「ロスト・イン・トランスレーション」(03)を撮った。本作は、そのアンサーにも見える。
AIと恋愛して、すっかり愛してしまう男の話。
最後は、OSが消えるということでその恋愛は終わる。
OSながら、嫉妬したり、嫉妬させたりして恋愛対象である人間をその気にさせる。しかし、同時に8000人以上と恋愛していることがわかり、徐々にその恋愛にもほころびがみえてくる。女優スカーレット・ヨハンソンがOSの声だけで演じる。
実際の人間との恋愛やコミュニケーションを求めつつもうまくいかない現実があるときにAIとの恋愛、コミュニケーションはこれから大いに可能性と、現実性がある。これは、近未来の私たち人間のあり方を描いた映画ともいえる。

シン·ゴジラの感想

シン・ゴジラの感想です。
ネットでの事前の評判が良すぎて、なんか正直言ってハードル上げ過ぎてたかもしれない。
それでも、率直に言って面白かったです。
まずは、一番評価できると思ったのは、やはりこの国が米国の属国であることをストレートに描いていてそこはよかった。
例えば、作戦会議の部屋にアメリカのテーブルがあって失敗したらすぐに連絡するみたいなシーンがあって、これってきっと実際もそうなんでしょう。
そのことを描いているものは今までなかったと思うので、そこは評価できると思うけど、もう少しその状況に対する反発や憤りのようなものを描いてほしかった。
なぜ、この国はそんな自立できない子供みたいな国なんだろうと。
そう、子供なんですよ、この映画。エンタメだから、そこはしょうがないのだろうし、リアリティはあるけど、子供ですね。まぁ、ゴジラですからね。もともと子供むけの作品だしね。
 
あと、エリートしか出てこないっていうのもリアリティあってよかった。庶民なんか、殺される人しか出てこない。こういう映画にありがちな無垢な少女や、まっすぐな青年がゴジラと分かりあえて、ゴジラから日本を救うなんていうのが一切なくて、よかった。
 
それと英語がかなり普通に使われていて、なんというか社会の中に浸透してんだなぁと思った。
 
ゴジラは核廃棄物から生まれた怪獣なんだけど、そのことももちろん描かれていて、悲惨なことになってるんですが、ここでは特に3.11についてのメタファー、というかゴジラはフクイチそのものです。ゴジラと最終対決する作戦内容なんかは、3・11そのまんまです。
それでいて、反原発とか、推進とかの判断はうまくかわしていると言うか、そんなことより俺らが戦ってるんだぞっていうリアリティがあった。
官僚たちが疲れて寝ているところに、反原発デモが重なるんだけど、これってなかなかのシーンだと思います。
 
ま、そんなところでした。批判みたいになったけど、面白かったし、エンタメとしてよくできている映画でした。
あと、続編はあるね。
他の見方や、ご指摘等はコメントにお願いします。

ばしゃ馬さんとビッグマウス

脚本家を目指す、女の人と、口ばかりだけの若い男の話。
麻生久美子演じるばしゃ馬さんは、才能ないのにひたすら書き続けます。
あそこまで書いてるのに、なぜあそこまで評価されない(評価と言ってもコンクールの一次審査すら通らない。)のは、疑問。
 
あそこまで書き続けていけるなら十分才能あると思うんだけどね。
あと、泣くシーンは『えっ!?ここで泣いて、あそこで泣かないの?』って感じでよくわかんないです。
 
 
あと、麻生久美子はかわいいです。

 


【映画】ばしゃ馬さんとビッグマウス【予告】